人生最初の借金は、丸井のカード、だった

お金の話
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お金にまつわる体験談をしていこうと思います。

私は借金をしていた時代が本当に長いので、
お金に関してはだいぶ苦労しているほうだと思います。
自身の不届き故の借金の他にも、親の作った借金とかもあります。
その過去の思い出を順不同ですが、
思いついた時に、記していこうと思います。


借金は、無計画にすると、何一つ良いことありません。
私の恥ずかしい借金の話をして、誰かがちょっとでも
私のような思いを避けることができたらいいなと思います。

貧乏だった新聞奨学生時代

私は、高校卒業して、大学に落ち、
予備校に通う為に上京しました。
予備校に通うほどのお金は実家には無かった為、
新聞奨学生の制度を利用していました。

新聞奨学生とは、新聞販売店に
住み込みで働きながら、学校に通い、
その代わり在学中の学費を建て替えてくれる、というものです。


しかし、上京後、
完全にやる気の無くなった私は予備校にはほとんど行かず、
ずっと部屋でゴロゴロしていました。


当時の新聞奨学生の給料は月6万5千円ぐらい。
部屋代と朝晩の食事代はかかりませんが、
学校までの定期代が1万5千円ぐらいかかり、
昼食代を引くと、かなり厳しい家計です。


部屋には風呂がありませんので、銭湯に行くのですが、
その銭湯代も惜しい。
風呂にも入らずに居たため、配達先の子供からは
「頭の臭いおにいさん」と呼ばれていました。


辛くて辛くて、勉強などする気にもなれず、
予備校も辞めて、晴れて自宅浪人生の出来上がりです。

その後ズルズルと新聞屋で働いていたのですが、
そんな時に、ぶらぶらしていたマルイで
ちょっと綺麗な店員さんに声をかけられました・・・

カードでお金が借りられることを初めて知ったが・・

マルイのカードを作りませんか?

という内容の案内で、
当時私は借金は悪い事、というイメージがあったので、
まったく使うことなど考えていませんでした。

ただ、ちょっと店員さんが可愛くて、

「これ作ったら君の成績になるの?」
「じゃあ作ろうか」

とか言って、
ただその場の会話を盛り上げるだけの理由で
カードを作ったと思います。

事実、そのまましばらくは一度も使わないまま、
財布にすら入れずにいました。


その時にカードが作れたのは、
もう学生でもありませんでしたし、
定職についている状態でしたので、
何の問題もなく、審査にも通ったのだと思います。

大学進学を断念

そんな頃、実家から連絡があり、

「大学は諦めてくれ」と。

実家の事業がうまく行かなくなり、
とてもじゃないが学費やら仕送りやらはできない、と。

それどころか、実家の事業に行政指導が入り、
すぐに改修工事をしなくてはいけないところがあり、
それができなければ、廃業に追い込まれる、と。

私は、一応、大学の入学金だけはなんとかしようと、
少しずつ貯金をしていて、それが50万ほどありました。
それを、その時全部親に渡したのです。


そしてその後、大学進学は諦め
(どうせ受からなかったと思います)
専門学校へ通うことにしました。

私は音楽関係の仕事がしたかったので、
そういう専門学校ですが、もうその時22歳でしたし、
1年で卒業できる専門学校を選んだのです。


そしたら、その学校は、新聞奨学生制度が利かない学校で、
授業も、夕刊の配達に間に合わない時間まである学校でした。

そのため、新聞奨学生の制度は利用できず、
その学校に入学するのと同時に新聞屋は辞めました。

他のアルバイトで生計を立てながら、
学校に通うようになったのです。

本格的な一人暮らしのお金の辛さ

給料の安い新聞屋も辛かったですが、
それでも、住み込みなので、ちょっとした悩みや生活の問題など、
同僚のみんなが助けてくれたりもしました。

今思えば、まだ楽な生活だったと思います。

アパートを借り本格的に一人暮らしになったのは、
このときからです。


誰も頼る人もいなく、収入はバイトのみです。
それも学業優先ですから、そんなには稼げない。

学校に行っている一年の間に、お金のない辛さが、
徐々に徐々に身体にしみてきました。


学校の行事で合宿とかあると、
お金はかかるわ、バイト代は減るわで、
真剣にやりくりに困りました。

親はもちろんそんな状態です。
誰も頼れない現実を前に、どうのしようも無かった。


親の金で専門学校に通っている奴らが本当に羨ましかった。
車持ってる奴までいましたからね。

合宿には、そこに行くまでの電車賃が無く、
そいつの車に便乗させて貰いました。

ひもじい思いをしましたね。

ある時に、なにげにカードに手を出す

お金がなくても衣食住のうちの
食と住が保証されている住み込みと違って、

お金が払えなければ家を追い出されてしまう、
ご飯が食べられなくなってしまう、

一人暮らしの現実はとても辛かったです。


朝から夕方までびっしり授業があり、
夜6時から終電まで、バイトです。

当時は時給800円。
一日4400円ぐらい。
週一休みでも月11万円ぐらい。
その中から、家賃、水道光熱費などのほかに
学費の残りも払っていました。

当時、家賃は風呂無しでも3.5万〜4万。
まだ新聞奨学生の頃のほうが良かったです。


そんな時期、お金の無いことがひもじくて、
悩んでいた時に、ふとマルイのカードを思い出します。


こんな現実から、
ちょっと楽になりたいと、
ちょっとだけ余裕が欲しいと思った時に、

「ホントに借りれるの?」と、

半信半疑で、ATMにカードを入れました。


ただただ、今の状況を楽にしたい。
辛い状態から、抜け出したい。その一心でした。


はじめての借金です。

ATMからは、ものの1分もかからずに、
現金が一万円出てきました。

人生最初の借金は「爽快感」

その時は、借金をしたという罪悪感よりも、


「こんなに簡単に借りられるんだ!!」
「これで少しは楽になる!!」


そんな、心が軽くなるような爽快感を感じたことを覚えています。

後で、毎月、数千円ずつ返していけば良い。
「なんて楽なんだろう」そう思っていました。


そう、最初にお金を借りたときに感じた心境は、

「爽快感」

でした・・・・。

その後はありがちな借金スパイラルに・・・

今思えば、
その時覚えたのが、「爽快感」であるが故に、
また借金を重ねるスパイラルに
潜在意識が働くようになったのかもしれません。


その後、マルイのカードが限度額に達するまでに、
一年かからなかったと思います。

少しづつ返しつつも、借りているお金も少しづつ増えていく。
私の長い長い借金人生は、この時に始まりました。
まさか、30年以上も借金と共に生活するようになるとは、
思ってもいなかったです・・・・。

借金の話は、まだまだ続きます。

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