実家の掃除をして気付いた事

家の掃除OP 掃除
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実家の掃除をあらかた終えて

このところ、家の掃除が一通り終わり、
今までは、汚かった実家の整理を中心に
掃除していました。


汚い状態が嫌で嫌で、
何故こんなに汚いままにしておくのか?と、
家の状態に半べそかきながら
掃除してきました。

しかし、これからは、ちょっと違います。

いまはもう一応生活できるレベルまで
綺麗になりました。


家は傷んでいますので、
修繕はもちろん
していかなくてはなりませんが、
人として当たり前の生活が
できるレベルまでは
改善されたと思います。

これからは、
いかに快適に過ごせるか?
いかにレベル高い状態で生活できるか?
という問題になっていくと思います。

家の掃除1

ちょっと回りくどい言い方ですが、
今までは、
「現存する問題に全力で対処してきた」
という受動的な行動ですが、

これからは、
「問題点を見つけて、改善していく」
という能動的な行動になります。

つまり、自分からこの家の空間に対して、
問いかけていかなくてはならないのです。

掃除を通して感じたこと

最近思うことですが、物事に対して、
自分から働きかけていくっていう行動が
人生では大切なんじゃないかな?と。


そういう姿勢が、今までの私自身に、
大きく欠けていたのではないかと
思うのです。

引っ越してきてからの掃除を通じて、
そう感じました。


私は親から家を相続して、
借金も引き継ぎました。

東京でそれなりに
楽しく生活をしていたのに、
わざわざこんな田舎へ
引っ越してくることなんか
無かったんじゃないか?と
ずっと考えていました。


しかし、借金問題も田舎の問題も、
全て、「与えられた事」であって、
そればっかりやっていたのでは
当然不平不満しか出てこないのです。


自分から、この環境に対して、
何かを投げかけていく、
少しでも良くなるように、
行動を起こしていくっていうことが
必要なのではないか?と
考えるようになりました。

家の掃除2

例えば、
生活環境が望んで無いようなものに
なった時に不平不満が出ます。

「なんでこうなんだろう?」
「何故こんなことをしているのだろう?」と。


望んだ事ができていない、
望んでいない事をやっているという
理想とのギャップが
ストレスに感じると思います。


しかし、それは「望んでいない事」
という問題を

「与えられている」

のではないかと思うのです。


だって、その問題が欲しくて
自分から寄っていった訳では
ないですよね。



その
「望んでいない」
「与えられた問題」
ばかりやっていると、
当然疲弊します。

行動は全て受動的になります。


「言われたからやっている」
「金のためにやっている」
「遊びに行けるぐらいの
給料が欲しい」
「土日に発散するために、
平日は我慢して仕事する」


結局は、
自分のストレスを軽減する為、とか
自分に何か利益がなければ
行動しないようになります。


はたしてそれでいいのでしょうか?

家の掃除3


なんでも良いので、
今いる環境に対して、
何かが少しでも良くなるように
行動を起こす事が大切なのではないか
と思うのです。

決して見返りを求めるではなく、
世の中という環境のために
何か行動を起こし、継続していく。


それが当たり前に思えるまで
身に付くよう行動し続けなければ
ならないと思います。


すべき事とは

ほんの些細な事かもしれません。


「道を譲る」「声をかける」
「挨拶をする」「礼を言う」
「ゴミを拾う」「少し早く済ます」
「汚さないように使う」


毎日の生活の中の
全てのほんの些細な事を、
受動的にやるのではなく、
自分から能動的に進んでやっていく、
そういう姿勢が
大切なのかも知れません。


そんな事を
ここに引っ越してきてからの
2ヶ月間の掃除で
感じるようになりました。

家の掃除4

ちょっと前までは、
ものすごいストレスが溜まって、
ストレスが原因の偏頭痛が
頻繁に出ていましたが、
考え方が少し変わってから、
少々楽になりました。


これから
どんな事をするのかわかりませんが、

少しでも
自分を高める事ができるように
生活していきたいものだと思います。

掃除
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