仏壇に置く御本尊様を、
通販で買いました。
どちらかといえば私は
宗教には疎いし、
興味も無かったので、
仏壇の関係は、あまり手を付けて
いなかったのですが、
こういうの、通販で売ってるんですね。
そんな話を・・・
仏壇の意味
実家に帰ってきて、
今まで見ぬふりをしてきた
仏様の関係を、
ちょっと調べてみました。
![](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/religion-2704076_640-300x200.jpg)
本来、仏壇とは、
お寺の出張所みたいな意味合いで、
毎日お寺までお参りに行けない家庭のために、
家でも拝むことができるように、
お寺の御本尊を株分けしてもらって
それを安置する場なのだとか。
なので、仏壇に祀るのは、
本尊が正解で、故人の位牌や
写真を飾る風習は
もともとは無いのだそうです。
それが、「人は死んだら皆、仏になる」
という考え方から、故人の位牌を
本尊の側に置くようになったのだそうです。
そして、だんだんと、
故人を偲ぶための場に変わり、
現代では、本尊の居ない仏壇のほうが、
当たり前になってきていると思います。
なので、位牌だけを祀っている仏壇は、
故人を偲ぶための物、
ということになりますね。
本尊の種類、大きさ
本尊の形は主に2種類で
いわゆる、仏像と、掛け軸です。
仏像は、仏様の像で、
形はいろいろあって立像、坐像、
材質も木彫りや、金属、
プラスチックもありました。
まあ、総じてお高いので、
パスしましたが。(笑)
なので、掛け軸のタイプにしました。
仏様の絵が書かれたものです。
![通販で買った本尊](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/IMG_20190831_105657-1-e1568446147842-300x225.jpg)
掛け軸の大きさを表す単位を
「代」とも呼ぶようです。
一般的な仏壇に入れるならば
20代〜30代の大きさで、
20代で 20センチ×9センチ
30代で 25センチ×11センチ
ぐらいです。
私は20代を買いました。
ちょうど良いぐらいの大きさだと思います。
![20代の本尊](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/IMG_20190831_110022-1-300x225.jpg)
しかし、最初、壁に
直接貼っていたのですが、
ちょっと見てくれが寂しいので、
別で本尊スタンドを買いました。
![本尊スタンド](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/IMG_20190905_103423-1-225x300.jpg)
こっちのほうが、なんとなく
見栄えが良い気がします。
落ち着いた感じがしましたね。
![本尊スタンドに掛けて](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/IMG_20190905_103635-1-300x225.jpg)
![本尊設置後](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/20190905_111734_0000-1-300x169.png)
両親に思うこと
先に書きましたように、
本尊の居ない仏壇は、
故人を偲ぶためのものです。
が、
私は、さほど
両親を偲びたくはないのです。
もちろん育ててくれた
感謝はしています。
毎日線香をあげています。
しかし、親父は決して
できた人間ではなかった。
人としてダメなほうの人間でした。
威張る、見栄を張る、
頑固、自己中、喧嘩早い
そんな親父でした。
おそらく、
いろんな業を背負って
この世に生まれてきたのだと思います。
やっとお役御免になったのだから、
もうこの世に未練など残さずに、
あの世でゆっくりしてほしいのです。
![](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/money-2724245_1280-300x172.jpg)
オフクロも、お金で苦労して、
お世辞にも裕福な生活ではありませんでした。
ましてや親父がこんなですから、
苦労が多かったことと思います。
もうこんな現世のことは
きっぱりと忘れて欲しい。
そう思うのです。
なので、あまり現世に繋がる物を
置いておきたくない、のですね。
写真も、位牌も。
そういう気持ちがあったので、
毎朝両親の写真に手を合わせる事に、
違和感を感じていたのです。
なんか違う、と。
それで本尊を置いたのです。
![](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/gold-body-2370354_1280-199x300.jpg)
本来、本尊には、魂入れと言って、
お寺で拝んでもらわなければ
ならないようです。
それをやらなければ、
ただの絵、ただの彫刻、なんだとか。
でも、私はそれでも良いかな?と。
ただの絵でいいや、と思いました。
目的は、死んだ両親を
拝む対象にしないようにする為ですので、
絵に魂があろうがなかろうが、
私には、どうでもいい。
両親には、とっととこの世の業から、
開放されて欲しい、と
そう、思っているだけですので。
あとは、私が親に
心配かけないような生活を
しなければいけませんね。
でなければ、両親もあの世で
ゆっくりも出来ないでしょうからね(笑)
今は両親の顔写真も、
仕舞ってしまいました。
少し、落ち着いた気がします。
![](http://genzaburow.com/wp-content/uploads/2019/09/tokunoshimaIMGL4172_TP_V-1-1024x682.jpg)
コメント
結構生きてますが知らないことばかり!
はー、日々勉強ですね。
遺影を飾る習慣はあまり趣味ではなく、どうも落ち着きません。
もちろん他人がするのに異議はないですが、自分はどうも。
同類はいるものだなあと思いました。
いつもありがとうございます。
部屋には額に入れた写真も飾ってあるので、
まあ、いりませんね。
親父の一周忌が終わったら
これも仕舞おうと思っています。
目標はこの家の処分なので、
何も残したくないですね。
自分のものも含めて。
人生の後始末の時期に入ったのだと思っています。