「いつか」は絶対に訪れない

親父の死亡当時の写真OP 掃除
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ソファーを処分しました

5月10日、
今日は従兄弟が車を出してくれたので、
親が使っていた大きな家具類を可能な限り捨ててきたいと思います。
幸い、私の住んでいる地域では、
粗大ゴミも、事前の連絡無しに持ち込んでOKです。しかも無料!!!!

これだけは本当に助かります。
躊躇無しにバンバン捨てられます。
今日一日で、相当な量のごみが出るでしょう。

とはいっても葬式後数日間かけて、
掃除したときもものすごい量のゴミが出たんですけどね。
その時は、本と服と布団が多かった。本なんて千冊ぐらいあったと思う。

読みもしないのに・・・・ね。

処分した家具達

結局処分した主なものは

●たんす 3つ
●3人がけソファー
●食器棚 2つ
●カラーボックス 2つ
●プラのラック 2つ
●コーヒーカップなど食器類 ダンボール1箱
●花瓶など ダンボール1箱

この中のソファーは親父愛用で、完全に指定席になっていました。
見ているだけで、親父の念が篭っていそうで、嫌でしたね。

ソファー1

家を建てたときに購入したものなので、40年近くになりますか。
いい加減古くてぼろぼろです。
さらに、猫の臭いがすさまじくて、ソファーなのに
座る事はおろか、触るのも嫌でした(笑)

やっと処分できて気持ちが軽くなります。

ソファー2

不要なものを持っているのは、恥ずかしい事

今回も結局ゴミ処理場へ6往復ほどしました。
親が死んだときに、ものすごいゴミの処分に苦労した
という話は結構聞きます。

車を出してくれた従兄弟も数年前に母親を亡くし、
そのときに大量のゴミを処分したらしいので、そのときの話など聞きました。

従兄弟は結局12往復したって(笑)
すげー!(笑)

これらは、親が死んで「親の使っていたものが不要になった」のではなく
「親の持っていた不要なものを捨てる羽目になった」のだと思います。

私は結構断捨離を勉強しましたし、
自分で実践して、その意味もそれなりに解かっているつもりです。
不要なものを持っているというのは、自分の中では恥ずかしい事なのです。

物をあふれさす人は、なんとなくですが、
「自分を管理できない人」
のように思えるのですね。

タンスやラックが増えるのも、
今持っているものを把握できていないからだと思いますし、
同じものが幾つもあるのだって、ひとつのものを置き場所を定めない、
もしくは定めてもそこに戻さない、からでしょう。

確かに一軒家で家族が数人いる家庭では、
なかなかそういう管理も難しいでしょうが、
一人で生活しているのなら、全て自分でやらねならないことです。

自分が死ぬときに、不要なものが溜まっているような恥ずかしい事は
したくないと、つくづく思いました。

死亡当時1
親父の死亡当時の写真
死亡当時2

親父の死亡当時の写真

「いつか」は絶対に訪れない

親の残した持ち物をみると、
「いつかやる」と思ってとっておいた物らしき物が溢れています。

ガーデニング途中の砂
剥くつもりだった胡桃
行くつもりだったスキーのソリ
直すつもりだったミシン・・などなど

結局「いつかやる」の「いつか」は絶対に訪れないのだと、
改めて思いました。
断捨離はそういう思考から発しているものだと思います。
一軒家の場合、おいて置く場所が沢山あるから、
ついついとりあえず、となってしまうのは解かります。

しかし、そこで本当に必要かどうか?今後やるかどうか?
を吟味していくのは必要な事だとおもいます。

とりあえず、といって於いて置く荷物。
それは於いて置くこと自体が問題であると理解すべきと思いました。

できるだけ、「今」、処理する。
先延ばしするのは、
自分の命が永遠にあるように思っている勘違いで、
いつ死ぬかも判らない、と思えば、
いらぬものは片付けておきたいです。

つくづく、荷物少なく暮らしたい。そう思いました。

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